
一の坂川・後河原のの上流約100メートルの山裾にしっとりとたたずむ古塔。
応永の乱(大内氏の勢力を恐れた将軍足利義満との泉州堺においての戦い)で戦死した
25代義弘の菩提を弔うため弟の26代盛見が建立した5重の塔で、大内氏最大の文化遺産です。この塔は全国に現存する40の塔のうちで10番目に古いものです。
その美しさは日本三名塔の一番に数えられ,室町中期における最も優れた建造物と評されています。檜皮葺総檜造り、塔高31.2メートルで、塔としては装飾の少ない勇壮なものです。しかし、各層とも軒の出が深く、屋根の勾配は緩やかで塔身部は上層にゆくにつれて思い切って間を詰めているので非常にすっきりした感じのものとなっています。
「はつ春の山のなかなるふる寺の古塔のもとに立てる旅人」明治40年6月、若山牧水
がここを訪れたときに詠んだものです。
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